先生は本当に多忙なのか②【本当のところを教えます。】

前回の記事では、先生の多忙についてお話ししました。

そこで今回は、”実際はちょっと違う部分もあるんじゃない?”ってところも話したいと思います。

先生の多忙は本当なのか

砂をこぼす人

多忙の中で挙げられている「授業準備の時間が足りない」という問題について。

中学校・高校で有れば担当する同一教科、小学校で有れば6年間の教科書の内容を基本的には教えることになります。
確かに若手の先生にとっては、これまでやったことのないものに対して準備するわけですから、結構大変な作業だと思います。授業で生徒と上手に関係がつくれなければ、クラスが崩壊していくこともあり得ますし。

しかし、これはあくまで若手の先生の話です。よく考えてみてください。10年、20年、30年と先生をやっていれば毎年教える内容がコロコロ変わることはありません。数年に一度、教科書の改訂が入ることもありますが、それまでやってきたことを全てゼロベースにするような変更はないです。

だとしたら、数年間かけて一生懸命準備した授業プランや自分なりのノウハウをもっていれば、ある程度時間が無くても「授業の準備ができない」っていうのは少し違和感がありませんか。

もちろん、授業などの教育的アプローチに完成はありませんから、突き詰めるほどに「時間足り〜ん!!」っていう感覚は常にあるのはわかるんですけど、それはある種どこかで区切りをつけないといけませんし・・・

この「先生の多忙」に関する問題は、早く解決しないといけません。なぜなら、現在の日本の教育現場は大きな改革を迫られている局面にあるからです。

これまでの20世紀型の学校で行われていたのは、与えられた課題を正確に素早くこなすことができる人材を生み出す教育でした。ですから、先生が”子どもたちをうまく誘導していく”「指導案」や「板書計画」なるものを入念に準備して、多くの情報を暗記させてきました。

しかしこれからの教育は違います。これからの先生には、自ら課題を見つけ、様々な人間と協力しながら解決していくようなクリエイティブな人材を育成していくことが求められています。

そのためにも、学校は現状を見つめ直し、これまで自分のやってきたことを否定するぐらいの覚悟をもって前に進んでいかなければなりません。

考え方を変えるべき

ロジカルシンキング

時間が足りないというものの、そもそも全ての授業を自分がやらなければなりませんか?塾などと自治体が協力して、映像授業を積極的に活用し、学校の先生だからこそできる応用的な授業のみの準備に時間を費やすはできないのでしょうか?

部活は自分が教えることがベストですか?外部から専門の指導者を呼ぶことができませんか?外部の指導者に金銭的な報酬を出すことが難しいのならば、保護者などの学校コミュニティーになんとか話をして、講師を募ることはできないのでしょうか?

小学校で行われている運動会などの行事は誰のものですか?そもそもどういう目的でやっているのですか?学校の先生や保護者がやらせているだけで、子どもは何かを考えたりする機会がそこにはありますか?

全く無意味だとは思いません。しかし大量の時間をかけた分だけの教育的な効果はそこにあるのでしょうか?

宿題は本当に必要ですか?それで子どもの自主性は育っていますか?国によっては宿題を禁止しているところもありますが、日本は今後も継続するのですか?・・・

極論だと言われるかもしれません。しかし、先生の忙しさを抜本的に解決したいと考えるのならば、先生、生徒、保護者、地域、教育委員会など様々なフェーズにいる人たちがこれらの問題について今一度真剣に向き合わなければなりません。

子どもたちは宝です。日本の財産です。日本の未来を作っていく子どもたちの前で、先生が疲れ切った顔をしていて良いわけがないですよね。

これを読んでくれた方が、日本の教育問題について考える一つのきっかけになれば嬉しいです。

ば〜い。

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